レクチャーLecture

芸術理論ゼミ

講師|岡﨑乾二郎

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回数:全12回
期間:2017年5月-2018年1月予定(不定期開講)
曜日・時間:土曜 19:00-22:00|日曜 18:00-21:00

文化は織物(TEXTILE)に喩えられてきた。であれば、さまざまな文化領域を縦断、横断するという行為は(気まぐれな遊歩ではなく)、線的に分断された無数の糸を構造体として組み合わせる――「織る」という労働でなければならない。縦糸と横糸を織り、さらにそれに絡み合い結びつける第3、第4次元の糸。これを読み取る行為自体が、文化を(長い時間を包含しうる)柔軟な構造体として編み上げてきた。したがって、ここで考察される対象は美術や建築に限らない。われわれの思考が依拠し、また束縛する構造体を解きほぐし、再構造化する試みの持続である。

2017年度テーマ
書かれえなかった物語としての美術史
Unwritten, The Story of Art

2017年度理論ゼミは、美術とよばれる領域の外延を形作ってきた対象を先史時代より追って観察、探求していきます。大雑把にいえば「世界美術史再考」(もちろん東洋も日本も含まれる、いやこうした政治的な分割を反映した分割は行いません)です。おおよそ、既存の美術全集(たとえば小学館世界美術大全集および東洋編)などの展開をあえて踏襲し、可能なかぎり豊富な資料を駆使して毎回のゼミをすすめます。建築、音楽、文学などの領域まで視野に入れた上で、言語に定着され整合的な流れとして語られる前の生の事物の(多次元的に展開する)関係をとらえることが このゼミの狙いでもあります。ひとことでいえば、芸術はいまだ(言葉をもたない)先史時代の事物と同等に存在しうるし、その限りで事物と事物の関係は一義的(線的)に規定されえない、開放性をもっている。すなわち時間は逆方向にも流れうることの発見がなされるはずです。このようにして見ていくと美術史というのは相当おもしろい、これこそが美術史の醍醐味といえるでしょう。

岡﨑乾二郎Kenjiro Okazaki
造形作家・批評家。1955年東京生まれ。82年パリ・ビエンナーレ招聘以来、数多くの国際展に出品。2002年、セゾン現代美術館にて個展。同年「ヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展」(日本館ディレクター)や、2007年、現代舞踊家トリシャ・ブラウンとのコラボレーションなど、つねに先鋭的な芸術活動を展開。著書に『ルネサンス 経験の条件』(文春学藝ライブラリー、関連サイト:ブランカッチ礼拝堂壁画分析)、『絵画の準備を!』(松浦寿夫との共著、朝日出版社)など。絵本に『れろれろくん』(文:ぱくきょんみ、小学館)、『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』 (文:谷川俊太郎、クレヨンハウス)。作品集に『Kenjiro Okazaki 1979-2014』(BankART 1929)など。Post Studiumディレクター。
http://kenjirookazaki.com/

映画の襞をたくしあげて 2

講師|ぱくきょんみ

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回数:全6回
期間:2017年度通年予定(不定期・月1回程度予定)
曜日・時間:土曜 14:00-17:00

彼女と彼、彼女と彼女と 彼女、

映画は、いま、ここ、貴方から離れた、遠い世界を見せるのではない。
いま、ここ、貴方にも通じる世界にたくしこまれた襞を見せる。
その襞をたくしあげて、「彼女」と「彼」を追ってみようではないか。彼女はまさこ、ソンファ、ムシェット、ジェルソミーナ、アグリン、パプーシャ、マルタと呼ばれて、あの「青ざめた母」だったのかもしれない。彼は伊古奈さん、ザンパノ、マチェク、ファーガス、ドミトリ、サテライトと呼ばれて、名もない兵士だったのかもしれない。
わたしたちは映画から何を学んできたのか、知ることができるのか。
映画は映画じたいほころびて、詩の一片になり、絵のフレームになり、哲学に潜水する、世界である。
世界は世界であるという、ただ当たり前であることを看破できないわたしたち。映画は、その当たり前のことを発見する術をそっと教えてくれる。
映画の襞をたくしあげて、映画のほころびを見届けながら、深く広く語り合いたい──
詩や文学、歌や旋律の思いがけない出会いや再会に胸ときめかせながら。

前期3回の予定する鑑賞映画

第1回|羽仁進監督『彼女と彼』(1963年)
1950年代~60年代の日本 戦後日本の欺瞞を問い続けた山下菊二という存在 主題歌「まだ生まれない子供」(作詞:谷川俊太郎 作曲:武満徹)

第2回|阪本順治監督『顔』(2000年)
1990年代の日本 「正子」という冴えない顔の女は「福田和子」という7つの顔を持つ女が叶えられなかった人生を切り開く   

第3回|ロバート・アルドリッチ監督『何がジェーンに起こったか?』(1962年、アメリカ映画)
1950年代のアメリカ合衆国 20世紀消費社会の担い手としての女性のセルフイメージの拡大と解釈  
あるいは、チョン・ジュリ監督『私の少女』(2014年、韓国映画)
2000年代の韓国 人から、共同社会から「捨てられる」存在が照らし出すもの
               
映画の襞をたくしあげて───2016年度に取り上げた作品

第1回|アメリカ映画『ソフィーの選択』(1982年、アラン・J・パクラ監督、ウィリアム・スタイロン原作)
第2回|ポーランド映画『パサジェルカ』(1964年、アンジェイ・ムンク監督)
イタリア映画『愛の嵐』(1975年、リリアーナ・カヴァーニ監督)
第3回|イギリス映画『愛しすぎて / 詩人の妻 トムとヴィヴ』(1994年、ブライアン・ギルバート監督、マイケル・ヘイスティングス原作)
第4回|韓国映画『ポエトリー アグネスの詩(うた)』(2010年、イ・チャンドン監督)
第5回|韓国映画『母なる証明』(2009年、ポン・ジュノ監督)参考映像:韓国人間文化財・李梅芳の舞踊
第6回|韓国映画『嘆きのピエタ』(2012年、キム・ギドク監督)

ぱくきょんみKyong-Mi Park
1956年東京生まれ。詩人、和光大学講師。第一詩集『すうぷ』を80年に出版以来、詩やエッセイをさまざまな媒体に掲載。1987年ガートルード・スタイン『地球はまあるい』をはじめて日本語に翻訳、93年スタイン『地理と戯曲抄』(共訳)を翻訳出版。モダニズム文学への取り組みと並行して、80年代より韓国の伝統音楽・舞踊を学び、伽倻琴(カヤグム)、ポジャギなど民族芸術を広く研究。2007年ジェノヴァ国際詩祭、ストゥルーガ詩の夕べ(マケドニア)、2010年リーガの詩の日々(ラトヴィア)、2015年Gate of Poetry(詩の門)(ルーマニア)に招聘された。
主著に、詩集『すうぷ』(2010年復刊、ART+EAT BOOKS)、『そのコ』『ねこがねこ子をくわえてやってくる』『何処何様如何草紙』(以上、書肆山田)、エッセイ集『いつも鳥が飛んでいる』(五柳書院)、絵本『れろれろくん』(小学館)。共著に『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房)、『女たちの在日』(新幹社)。