回数:全6回
期間:2017年度通年予定(不定期・月1回程度予定)
曜日・時間:土曜 14:00-17:00
彼女と彼、彼女と彼女と 彼女、
映画は、いま、ここ、貴方から離れた、遠い世界を見せるのではない。
いま、ここ、貴方にも通じる世界にたくしこまれた襞を見せる。
その襞をたくしあげて、「彼女」と「彼」を追ってみようではないか。彼女はまさこ、ソンファ、ムシェット、ジェルソミーナ、アグリン、パプーシャ、マルタと呼ばれて、あの「青ざめた母」だったのかもしれない。彼は伊古奈さん、ザンパノ、マチェク、ファーガス、ドミトリ、サテライトと呼ばれて、名もない兵士だったのかもしれない。
わたしたちは映画から何を学んできたのか、知ることができるのか。
映画は映画じたいほころびて、詩の一片になり、絵のフレームになり、哲学に潜水する、世界である。
世界は世界であるという、ただ当たり前であることを看破できないわたしたち。映画は、その当たり前のことを発見する術をそっと教えてくれる。
映画の襞をたくしあげて、映画のほころびを見届けながら、深く広く語り合いたい──
詩や文学、歌や旋律の思いがけない出会いや再会に胸ときめかせながら。
[前期3回の予定する鑑賞映画]
第1回|羽仁進監督『彼女と彼』(1963年)
1950年代~60年代の日本 戦後日本の欺瞞を問い続けた山下菊二という存在 主題歌「まだ生まれない子供」(作詞:谷川俊太郎 作曲:武満徹)
第2回|阪本順治監督『顔』(2000年)
1990年代の日本 「正子」という冴えない顔の女は「福田和子」という7つの顔を持つ女が叶えられなかった人生を切り開く
第3回|ロバート・アルドリッチ監督『何がジェーンに起こったか?』(1962年、アメリカ映画)
1950年代のアメリカ合衆国 20世紀消費社会の担い手としての女性のセルフイメージの拡大と解釈
あるいは、チョン・ジュリ監督『私の少女』(2014年、韓国映画)
2000年代の韓国 人から、共同社会から「捨てられる」存在が照らし出すもの
[映画の襞をたくしあげて───2016年度に取り上げた作品]
第1回|アメリカ映画『ソフィーの選択』(1982年、アラン・J・パクラ監督、ウィリアム・スタイロン原作)
第2回|ポーランド映画『パサジェルカ』(1964年、アンジェイ・ムンク監督)
イタリア映画『愛の嵐』(1975年、リリアーナ・カヴァーニ監督)
第3回|イギリス映画『愛しすぎて / 詩人の妻 トムとヴィヴ』(1994年、ブライアン・ギルバート監督、マイケル・ヘイスティングス原作)
第4回|韓国映画『ポエトリー アグネスの詩(うた)』(2010年、イ・チャンドン監督)
第5回|韓国映画『母なる証明』(2009年、ポン・ジュノ監督)参考映像:韓国人間文化財・李梅芳の舞踊
第6回|韓国映画『嘆きのピエタ』(2012年、キム・ギドク監督)
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ぱくきょんみ|Kyong-Mi Park
1956年東京生まれ。詩人、和光大学講師。第一詩集『すうぷ』を80年に出版以来、詩やエッセイをさまざまな媒体に掲載。1987年ガートルード・スタイン『地球はまあるい』をはじめて日本語に翻訳、93年スタイン『地理と戯曲抄』(共訳)を翻訳出版。モダニズム文学への取り組みと並行して、80年代より韓国の伝統音楽・舞踊を学び、伽倻琴(カヤグム)、ポジャギなど民族芸術を広く研究。2007年ジェノヴァ国際詩祭、ストゥルーガ詩の夕べ(マケドニア)、2010年リーガの詩の日々(ラトヴィア)、2015年Gate of Poetry(詩の門)(ルーマニア)に招聘された。
主著に、詩集『すうぷ』(2010年復刊、ART+EAT BOOKS)、『そのコ』『ねこがねこ子をくわえてやってくる』『何処何様如何草紙』(以上、書肆山田)、エッセイ集『いつも鳥が飛んでいる』(五柳書院)、絵本『れろれろくん』(小学館)。共著に『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房)、『女たちの在日』(新幹社)。